「出インド記」

(プロローグ)
それはインド時間で翌日に変わろうとしている3月20日のことであった。 インドの入国をすませた私と友人のS、そして彼の弟は深夜行くところがないので 途方に暮れていた。このまま空港で寝ようかという意見もあったが、なんとなく 空港を出てしまい、もう戻れなくなってしまった。 どういう訳か私とおなじ便でクラブの後輩もインドのツアーに来ていた。なんと 帰りもおなじ便らしい。彼らは今から夜の中を別の都市まで移動するという。しかし 我々には行く当てが全くない。「また1週間後無事でお会いしましょうね〜」との 揶揄の声を後ろにプリペイドタクシーのカウンターでデリー市中心部までの値段を 聞くと160Rs。これはその前の客引きをしていたタクシーの提示した50Rsからみて とんでもない額に思えた。

そこで50Rsで市の中心まで行ってもらい、そこの公園で寝ることにした。すると、 前に乗っているインド人(うち1人はドライバー)が、しきりに、「それはそうと、 今これからどこへ行く?」と聞き出した。何回でも「Connote Place」といって るのに、全くしつこい。そのうち、道にいる警察官を指さし、「夜は危ない。ホテル に泊まらないと危険だ」と言い出した。その間も車はわけわからん所へどんどん 走っていく。こいつらに連れて行かれるほうがよっぽど危険だと思った。 とても書ききれないすったもんだの後、やむを得ず、1泊50ドルのホテルに連れて いこうとするのを10ドルのホテルに負けさせた。

ところが、宿屋の主人は15ドルと言い張った。タクシーのドライバーと俺は関係ない という。何度約束が違うといってもだめだった。部屋はエアコンやテレビまである きれいなものなのでしかたなく金を払い、その場で「どうしても」といってレシート をもらった。コミッションをもらっているはずのタクシーの二人組は部屋まで入って きて金を要求した。なんと要求金額は50ドル(1ルピーは3.7円)。Sが「約束が 違う」とか、「なにいってんねん」とか「警察呼ぶぞ」とかいっても部屋に居座り 続けた。あきれかえってベッドの上にしばらく転がっていた私もついに怒りパワー の充填に成功した。(余談だが一瞬で激怒できるのはある種の才能だと思う。私は (別に穏やかな性格ではないのに)よくこれに失敗し、後で標的がいなくなったころ に怒り出してよく悔しい思いをしている)
「TAKE YOUR 50Rs AND GET OUT!!!」
ホテル中に聞こえるような声で叫んで金を投げつけ、2人を追い出し、ドアをバタンと 閉めて鍵をかけた。後でチップを要求しに来たボーイも追い出した。 かくして1日目の夜は終わった。



(以下、本文)

「あしたには日本に帰ってるのか、いいなあ。」というSと別れ、26日の夜8時 か9時ごろ、下痢の体を(バラナシのホテルの3人の部屋は一時病室の様相を呈した) 引きずりながら出発点デリーの国際空港にたどりついた私は、大阪へ向かう翌日午前 1時過ぎの便の所の横に「Cancelled」と書いてあるのに気付いた。目の前が真っ暗 になった。金は出国税を除き、日本円もドルも持っていないので350Rsしかなかった。

気を取り直してAir India のカウンターに行くと、「9時半に来い」という。淡い期待 は9時半にその辺にいた日本人と一緒にカウンターに行った時に打ち砕かれた。 「Cancelled」といわれ、チケットの名を紙に書き移して返してくれた。「11時に バスがきておまえらをホテルへつれていってやるから待て」と横柄に言われた。 ボロボロのバスは1時間くらい遅れて現れ、どういう訳か Ashok Hotel (有名な 高級ホテル)へ我々を連れていった。(我々は個人旅行者だからと主張し)2人部屋 を与えようとするホテルに抗議し、(普段使ってないらしいかなりガタのきた)1人 部屋をもらった。晩飯も食ってないので、これもさんざん抗議したのち、紅茶または コーヒーにサンドイッチをようやく手に入れた。

次の日の10時には飛行機があるという噂を他愛もなく信じ込み、部屋で4時過ぎまで 寝られなかった。


---疲れたので続きは今度---


「出インド記」その2