<出インド記>


      ---”Go down , go down Moses . Let my people Done ! ♪”---
                    --- 高校の時に聞いた歌より---
          
      (96年版は”Come down , come down tickets , Let my people Gone !! ”)


(プロローグ)
それはインド時間で翌日に変わろうとしている3月20日のことであった。
インドの入国をすませた私と友人のS、そして彼の弟は深夜行くところがないので 途方に暮れていた。このまま空港で寝ようかという意見もあったが、なんとなく 空港を出てしまい、もう戻れなくなってしまった。
どういう訳か私とおなじ便でクラブの後輩もインドのツアーに来ていた。なんと 帰りも私とおなじ便らしい。彼らは今から夜の中を別の都市まで移動するという。 しかし我々には行く当てが全くない。「また1週間後無事でお会いしましょうね〜」 などの揶揄の声を後ろにプリペイドタクシーのカウンター(このとき本物かどうか 分からないくらい怪しげな建物だった)でデリー市中心部までの値段を聞くとなんと 160Rs。これはその前に客引きをしていたタクシーの提示した50Rsからみてとんでも ない額に思えた。相手は一人だと思って客引きについていくと、車の中にはもう一人 強そうなインド人(こっちは運転手)がいた。

そこでとりあえず50Rsでニューデリーの中心部 Connote Place まで行ってもらい、 そこの公園で寝るなりなんなりすることにした。(Market Place にいくのが正解 だったか)すると、前に乗っているインド人たちが後ろを振り向いて、しきりに、 「それはそうと、今これからどこへ行く?」と訊ね出した。何回でも「Connote Place」と言ってるのに、全くしつこい。
そのうち、道にいる警察官を指さし、「夜は外は危ない。ホテルに泊まらないと 危険だ」と言い出した。その間も車はわけわからん所へどんどん走っていく。 こいつらに連れて行かれるほうがよっぽど危険だと思った。
「いやだ」というと、ツーリストオフィスに行こうという。これも拒否した。 とても書ききれないすったもんだの後、やむを得ず、1泊50ドルのホテルに連れて いこうとするのを10ドルのホテルに負けさせた。

ところが、宿屋の主人は15ドルと言い張った。タクシーのドライバーと俺は関係ない という。何度約束が違うといってもだめだった。部屋はエアコンやテレビまである きれいなものなのでしかたなく金を払い、その場で「どうしても」といってレシート をもらった。コミッションをもらっているはずのタクシーの二人組は部屋まで入って きて金を要求した。なんと要求金額は50ドル(1ルピーは3.7円)。Sが「約束が 違う」とか、「なにいってんねん」とか「警察呼ぶぞ」とかいっても部屋に居座り 続けた。あきれかえってベッドの上にしばらく転がっていた私もついに怒りパワー の充填に成功した。(余談だが一瞬で激怒できるのはある種の才能だと思う。私は (別に穏やかな性格ではないのに)よくこれに失敗し、後で標的がいなくなったころ に怒り出してよく悔しい思いをしている)
「TAKE YOUR 50Rs AND GET OUT!!!」
ホテル中に聞こえるような声で叫んで金を投げつけ、2人を追い出し、ドアをバタンと 閉めて鍵をかけた。しばらく後で戸を叩く音がしたので、まだ帰らないのかと思い、 戸の隙間からのぞくと、ボーイがチップを要求しに来た。これももちろん追い出した。 かくして絶叫とともに1日目の夜は終わった。



(以下、本文)

「あしたには日本に帰ってるのか、いいなあ。」というSと別れ、26日の夜8時 か9時ごろ、下痢の体を(バラナシのホテルの3人の部屋は一時病室の様相を呈した) 引きずりながら出発点デリーの国際空港にたどりついた私は、大阪へ向かう翌日午前 1時過ぎの便の所の横に「Cancelled」と書いてあるのに気付いた。目の前が真っ暗 になった。信じたくなかったが、目の錯覚ではなかった。金は出国税を除き、日本円 もドルも持っていないので350Rsしかなかった。

気を取り直してAir India のカウンターに行くと、「9時半に来い」という。淡い期待 は9時半にその辺にいた日本人と一緒にカウンターに行った時に打ち砕かれた。
「Cancelled」といわれ、チケットの名を紙に書き移して返してくれた。「11時に バスがきておまえらをホテルへつれていってやるから待て」と横柄に言われた。
1週間前に入国するときに会った後輩はツアーの客なので、これから Bombay へ 飛んでそこから帰るらしいことだけが分かった。
ボロボロの「囚人バス」は予定をさらに1時間くらい遅れて現れ、どういう 訳かAshok Hotel (有名な高級ホテル)へ我々を連れていった。バスの中は歓声が あがった。噂では、翌日の午前10時に迎えにくるという。ところがホテル に入ってしまってから、Air India の人間がホテルに一人も来ていないことが 分かった。
(我々は個人旅行者だからと主張し)2人部屋を与えようとするホテルに抗議し、 (普段使ってないらしいかなりガタのきた)1人部屋をもらった。晩飯も食ってない ので、これもさんざん抗議したのち、紅茶またはコーヒーにサンドイッチを手に入れ た。
宿泊中の飯は与えられるようだ。

次の日には飛行機があるという噂を他愛もなく信じ込み、部屋で4時過ぎまで寝られ なかった。

(27日)
隣の部屋のインド人は朝の6時過ぎから電話を掛けたり掛けられたりして うるさかった。眠れなくなって起き出した。

これから日本で待っている様々な予定が頭の中で渦巻く。
大学院入学金払い込み締め切りが29日(厳守であり、遅れると本物の プータロー)友人Kの結婚式が30日。本来の大学院入学申し込みが 4月の1、2日。
最初の入学金については、出発直前に実家へ帰り、まだ寝ている 弟に「もしものことがあったら払ってくれ」と頼んでおいたが、 弟は寝ぼけていたのではなはだ心許ない。

インドで身につけた何時間もボーとする術で朝8時過ぎまで時間は 簡単に流れ去った。しかし、ついに我慢しきれずに朝飯を食いに行く。 腹痛が続き、食欲がない。

ここでは、どっかの暇そうな日本人のおっさんが話しかけてきた。
大学教授らしい。「ツアーの人は優先的にどこかへ運ばれて行きましたよ。」 とか、「こんなホテルにいるのは運のいい方で(汚い格好をしている我々は ほとんど客としての扱いを受けなかった)、南京虫のいるホテルで10日も 放って置かれた人も知り合いにいますよ。」などという。「あんたは 暇そうだから平気なんだろうね〜」などと頭の中でつぶやく。
エンジン整備係のストだという噂。

飯を食っても行くところがないので1階をふらついていると、昨日から顔見知り になった日本人の個人旅行者がロビーに集っていた。一人、英語のうまい人がいて、 つぎに何とかしゃべれるのは何故か私なので、自然と交渉係のようなものになる。
だいたい、今度、4月1日から入社するという人、1週間の休暇をとってきた会社員 と私以外来期も学生という人ばかりで、インド滞在が延びても困っている人は少な かった。

Air India からは午前中は何の連絡もなかった。
午後になって、ホテル内にAir India のカウンターがあることが判明し、文句を 言いに行った。そこには女の事務員が一人いて、しきりに電話をやりとりしている。 途中でその人は1時間半飯食いにいった。3時まで待てという。
3時に行くと、係りの人は結局「4時に301へ来い。」というのであきらめて一時 退却する。

4時に Air India の臨時事務所となった 301 号室にいくと閉まっていた。
ようやく、5時を過ぎておっさんがやってきたが、インド人のヒンドゥー語、 白人の英語の怒号が飛び交い、ムチャクチャになっている。このおっさんは、 今度は6時半に来いという。また、別の係りの人間がやってくるそうだ。
「えーかげんにせー」というと、おっさんは、「Air India は私ではない。」 という。上司を呼べというと、おっさんは、「Air India は私の上司でも、 その上でも、もっと上の大臣(?)でもない。」という。この辺で私は切れた。

白人の怪しげな格好をした(右手に金属球をいつも2つ持ち、それを「チローン、 チローン」とならしていたヤクでもやってそうな雰囲気の)にーちゃんが演説 を始めた。「こんな高いホテルであんたは1日一人170ドルずつごみ箱に捨てて いるのだ」とか、「いやしくもAir India がインドの国営会社なら(これは勘違い らしい)、あんたらのせいでインド自体の信頼を失っているのだぞ」とか。ついには、 「これはカフカの小説みたいだ。」と言い出した。(「城」のことだろう。「審判」 にも確か、来訪者をいれないためにだけ存在する門番が複数登場する。)
ここで拍手が起こった。当然私もヤケになって思いきり拍手した。

白人たちは大阪にいく途中でとまる香港に行く人が多かった。私も、日本人を、 少なくともデリーより便利な香港へだけでも連れていくようにと要求した。

それでも交渉は不調だった。やっぱり6時半に来いという。

日航が香港から日本への便を持っていて、ビジネスクラスなら席が3つ空いて いるという話が白人から伝わった。まだ逃げていなかったこの煮えきらない おっさんに「あんたの飛行機で香港まで連れていけ。それからお前が日航に話を つけろ。ビジネスクラスでもあんたのところが払って当然だ。」と言いに行くが、 「交渉はみんな私たちに任せてもらおう。」と一蹴された。

結局、もう一人おっさんがやってきて、夜9時過ぎてもらった返事は「明日の午後 4時に来い」というもの。その間観光してても結構という。

完全に切れた私はみんなの前で「I don't have much time. Unlike you , I'm busy . No kidding !!  わかっとんのかこのおっさん!!!」と叫んだ。
一瞬、場は凍ったが、Air India のおっさんたちは涼しい顔だった。Air India の 職員に共通しているのは、不自然におもえる「にやにや笑い」で、阿部公房の「壁」 に出てくる、微笑は全ての表情を覆い隠すためいつも笑っている狸を私は思いだした。

この間にホテルからもらった一回切りの権利---3分までなら日本に電話を かけていい---というのを行使する。(時には「Closed !」と言って切られたり、 繋いでくれても30分は待たされる。)入学金は弟が払ってくれていたことが分かった ので少し安心したが、K君とTさんの結婚式へは参加は無理だろうと伝えてもらわない といけない。

昼飯と晩飯は与えられたが、水はダメ(紅茶、コーヒーは晩は可)。下痢の体に カレーの連続攻撃はつらかった。

へとへとになり、ほとんど何も食えずにこの日も過ぎた。とうに日本に 帰っているはずの時刻だった。明日は下痢が治ったら Air India をあてにせず、 格安航空券をニューデリーで見つけて帰ろうと考える。これを手に入れるために どれだけたくさんの悪徳業者やその客引きと戦う必要があるかを考え、気が 滅入った。
横になりながら、安い Air India のチケットを出発ぎりぎりになってとれたことを 知らされ、欣喜雀躍していた自分を苦々しい思いで振り返った。


「出インド記」続き